懲罰召集

昭和19年の2月に、毎日新聞の新名丈夫記者が書いた陸軍批判の記事が
東条英機首相の怒りを買い、37歳の新名氏に間もなく召集令状が来た。
明らかに懲罰(報復)召集と言われ、彼は海軍の計らいで間もなく召集解除となり、
再召集される前に、海軍従軍記者として国外に逃れた。陸軍は懲罰召集の
汚名を隠すために同じくらいの年齢の男性250人を召集して辻褄をあわせた。
大正時代に徴兵検査を受け、この戦いでは召集の対象外であった彼らは
このとばっちりを受けたばかりでなく、間もなく硫黄島に送られ、
全員玉砕戦死した。こんなバカげたことがあったことを最近知ったのだが
要するにこれが日本が世界に仕掛けた戦争の末路である。